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創設者の精神

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渋沢史料館所蔵

経済の未来を見通す眼で、物流を考えていく

澁澤榮一 shibusawa eiichi (1840~1931)

日本資本主義の生みの親で、当社の創設者。 1864年(元治1)、のちの将軍一橋慶喜に仕え、明治維新後、新政府の大蔵省高官を経て実業界に転じ、1873年(明治6)日本最初の銀行を創設(第一国立銀行)。以来、株式組織にもとづく近代経済発展の最高指導者となった。

武蔵の国血洗島村(現埼玉県深谷市)の農家に生まれた澁澤榮一は、 幕末という激動の時代の中でしだいに憂国の心を抱き始め、 ついに討幕の運動に身を投じるようになりました。
しかし1867年(慶応3)、榮一が28歳の時、大きな転機が訪れました。その頃討幕の蜂起に失敗して京都に逃れ、不本意ながら幕臣となっていた榮一は、パリで開かれた万国博に参加する使節団の一員として徳川昭武(15代将軍慶喜の弟)に随行し、 ヨーロッパに渡ったのです。 そのとき榮一を驚かせたのは、産業革命に成功した先進国の近代産業と発達した諸制度でした。 そしてこの時の見聞が榮一の帰国後に花咲き、実を結ぶことになるのです。

明治6年、榮一は大蔵省を辞任し、第一国立銀行を創立。さらに紡績、化学、ホテル、製紙、造船、ビール、ガス、電力などの企業を次々に設立していきました。 また榮一は早くから物流業の大切なことをよく認識し、倉庫業についても明治10年頃から創設運動をおこし、大いに政府筋や経済人の啓蒙に努めました。「わが国の商工業を正しく育成するためには、銀行・運送・保険などと共に倉庫業の完全な発達が不可欠だ」という信念を抱いていたのです。明治30年には自ら営業主となって澁澤倉庫部を創業。同42年、組織を改め現在の澁澤倉庫株式会社としました。日本の経済成長に伴い総合物流企業として高度に発展してきた当社のあゆみは、この時に始まったのです。

「物流が、産業・経済発展のための大きな鍵となる」 榮一の予見は、100年以上たった今、まさに現実となっています。そして、今後もますます物流はその重要性を増していくはずです。“経済の未来を見通す眼で、物流を考えていく” シブサワはこれからも創設者澁澤榮一の精神を大切に育てていきます。

参考サイト:公益財団法人渋沢栄一記念財団(外部リンク)

社章の由来

澁澤榮一の生家は、現在の埼玉県深谷市にあり、農業・養蚕の他に藍玉(染料)の製造、販売も家業としていました。この藍玉の商いをするときに使用した記章が「yurai1」であり、澁澤家では「ちぎり」と呼んでいました。

文献によりますと、「yurai1」は「りうご」あるいは「ちぎり」共に正しいとのことですが、当社の昔からの言いならわしによれば、元来は糸巻に糸を巻き付けた形であって、この形が鼓を立てて横から見た形に似ているところから「立鼓(りうご)」とか、またあるいは、「yurai1」は漢数字の「五」が立っている形と見て「立五(りうご)」と呼ぶようになったとも伝えられています。

この渋沢家の「yurai1」を創業の際に、倉庫部の記章として、受渡掛りの印袢纏や倉庫の壁に使用したのが始まりで、以後「澁澤倉庫部」は通称「りうご蔵」と呼ばれていました。

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倉庫部会社組織になってからは、この「yurai1」を社章とし、現在に至っております。